株式会社サンエネック

安納芋の歴史

お問い合わせはこちら 通販はこちら

安納芋の歴史

安納芋の歴史

2023/09/25

安納芋の文化の始まり・・・

種子島の安納芋文化の始まりは、第二次世界大戦後まもなく、スマトラ島北部のセルダンという地域から1人の兵隊さんが持ち帰った、一つの甘~いお芋が始まりと言われています。そのネットリとした不思議なお芋は、これまでの琉球から伝わった唐芋(サツマイモ)とは比べ物にならないほど甘く、この美味しいお芋を島のみんなにも食べてもらおうと島内で栽培したのが始まりでした。

するとたちまち島の人々はこの甘~いお芋に夢中になり、またたく間に種子島の様々な地域で栽培されるようになったのです。それまでも琉球から伝わった唐芋(サツマイモ)を栽培し食してきた種子島の人々でしたが、段違いに甘くてジューシーなこのお芋は島民の舌と心をとらえ、種子島の宝物になりました。

時代は進み平成元年、鹿児島県農業開発センター熊毛至場で優良品種の選抜育成が進みます。この農業試験場(熊毛支場)が種子島の安納地区にあるという事で、平成10年に品種登録される際「安納芋」と名付けられ、後に蜜芋として知られている「安納紅芋」と「安納もみじ(安納こがね)」という2品種が登録されました。これが今では全国的に大人気となった「安納芋」のルーツなのです。

種子島の人々はこう言います。「昔から種子島は飢えを知らない島。」それは、世の中を大飢韻が襲い10万人以上の方が餓死してしまった時代に、さつまいもの栽培に日本で初めて成功していた種子島が、お芋で飢えを逃れ、多くの犠牲者を出さずに済んだ歴史からも知ることができます。

当店でご利用いただける電子決済のご案内

下記よりお選びいただけます。